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夢日記2

とても大勢で隠れ鬼をやっていた夢を見た。

 

でもただの隠れ鬼ではない。1人が1つだけジョブを選択することができ、それに応じた隠れるための特殊技能を獲得できるというシステム付きだ。

 

例えばスパイダージョブ、これは名前の通り蜘蛛のように手から蜘蛛の糸を出せる。

パイロジョブは火でその蜘蛛の糸を焼き払うことができるし、シールジョブは小さなシールになってあらゆるところに張り付くことができる。

 

様々なジョブによる攻防戦が熱い。

 

私のジョブはなんだか忘れてしまったが、最後の1人まで残って最終的に捕まった気がする。

 

落ちなし、終わり。

夢日記1

 

今日の夢。かつて私が住んでいた近くの河川敷に沿って全裸でひたすら一定方向に走っていく夢を見た。途中で落ちている洋服を拾って着ていくという内容だ。

 

ふと周りを見回すとすれ違う全てのものが自分の背より遥かに高く、また自分の手もなよなよしていて頼りない。子供時代の記憶らしい。

 

どれだけ走っても見知った人に出会えない私はだんだん不安になってきて、ついには地面に膝をつけて泣き始めた。

 

その時何か大きなものが太陽を遮った。それは大きな人影で、私に手を差し伸べていた。夢はここで終わった。

 

 

最後の人影って誰だったんですかね。逆光で何もわからなかったんですけど重要人物であるのは間違いないと思って。誰かわからなかったというのが結構ポイントで、逆になんでもよいのかもしれませんね。心の安寧をもたらすものであればたとえ人でなくても。

何か頭に思い浮かべてください それがタイトルになります

ここ最近のニュースは幸福の科学で持ち切りだ。私は普段テレビを見ないが、彼女がつけているので嫌でも目に入る。

 

世界のそこかしこで正論の弱さを見る。どうやら私以外の人間は雑なコメンテーターの雑な意見で盛り上がっているらしい。

 

論理の整合性やバイアスを考えてみると、どうやら迎合していく雰囲気で人生をやってるらしい。気付きパワーもないのではないか。気付きはとても大切だ。

 

コメンテーターはアジテーションすることが仕事なのでとても楽そうでいいなあと思う。私も思ったことをスパスパ口から出してお金をもらいたい。このブログの様に。

 

ところで自動車教習所に行くことになった。教習所の学科試験はイヌクティトゥット語で書かれているらしいのでとても楽しみだ。嘘だ、接したくない。助けてくれ。

昨日から日光浴を始めた。

これが私の身体にぶっ刺さったようで、身体がエクストリームムービングマンになっている。

生と死について考えると他のあらゆることの優先順位が下がってしまって「とにかく体を動かす」ということを忘れてしまいがちになるのだけれども、それが解消されている。

セロトニンすごい。足りてなかったのかもしれない。

 

 

ところで社会的な感情に悩まされている。

どうも同調圧力というか、自分の感情を大多数の感情に置き換えているというか、悪を成敗する気持ちになってしまっているというかそういった人間を見る機会がある。

 

芸能人の不倫問題に苦言を呈する人間というのはそういう筆頭で、それを裁くのはヒトではなく法であるにも関わらずどうして人間は...といった類の悩みである。

 

身体は動くようになったけれども相変わらず人間は絶滅してほしいと思っている。

 

今日も感情が5倍ほどある。

 

 

人責め

 

私はいま仕事をしていない。2ヶ月ほど前に3か月間だけ働いていたコンビニの仕事をやめたばかりだ。

彼女とは働けるときに働ける方が働いて、ダメになっている方は家の仕事をするという役割分担でやっている。

 

...どうやらそれをよく思わない彼女の両親が見切りをつけろとけしかけているらしい。

 

きっと孫の顔が見たいのだろう。このままでは自分たちの生活以外に第三者を入れこむ経済的隙間がないからだ。もっと安定していてしっかりとした人を見つけて子供を作ってほしい親心があるのだと思う。

 

私にとってはそれが窮屈でたまらない。子供を作るだとか、男は稼いで家にお金を入れるなど不特定多数の人と接することが既に大きなストレスとなる私にとっては拷問にも近い。水責めならぬ人責めだ。

 

幸い料理は頻繁にやる方で、専業主夫にでもなれないかと思うのだが世間の風当たりは冷たい。

 

自分の得意なことだけをやってできないことは他人に任せる。これが最も効率の良い経済活動なのだと思うのだけれども現状そう思わない人間の方が多い。既存のスタイルを変えられないだけかもしれない。

 

もっと楽に生きていける世の中になってほしい。

何者でもないかのようにふるまう

思えば逃げてばかりの人生だった気がする。

 

とにかく家は居心地の良いものではなかった。常に人格否定の言葉が飛び交うとんでもない空間だった。

 

私は私の価値観をとても大切にしていて、それを無視して別の価値観を押し付けられることに不寛容だった。逆に相手の価値観には一定の理解を示すことは得意だった(どうでもよかったので)

 

故に家出をするように千葉の大学へ進学した、無論一人暮らしをするために。

 

やりたいことは化学、だと思っていたが当時憧れを持っていた教師に対して認められたいという思いがあって必死にやっていただけということに気が付いて急に虚無くなってやめた。

 

結果退学、当然の結果だった。

 

実家から逃げることに精いっぱいになっていてその先のことなどまるで考えていなかったのだ。頭がそのことでパンクしていた、良好な関係を築けるチャンスもあったかもしれないのに。

 

パンクした頭をようやく修理して膨らませ始めたら自分には特に何もやりたいことがなく、また新しくやりたいことを見つける気力も残っていないことがわかってきた。

 

毎日10時間ほどやっていたゲームも最早やる気力がない。新しいものにも興味がわかない。

 

毎日炬燵に入って外を眺める日々が続いている。このまま人生が終わってしまえばいいのにと思っている。

 

人と触れ合うことを考えると寒気がしてくる。分厚い偽りの仮面を被ることはとうの昔に諦め、友達は数えるほどもいない。

 

それでもたまには将来のことを考え、一から自分自身を育てなおすことも考えてみるのだがどうもうまくいかない。

 

予定を詰め込んでも全てをドタキャンしてしまう。身体がまるで動かない。

 

守りたいものもやりたいこともないのだからそれは当然のことで、それさえあれば理不尽にも立ち向かっていけるのだろうなという気はしている。逃げてばかりだったのも戦う理由がなかったからだ。

 

そろそろ人生を終わりにしたい。これから状況は悪化の一途を辿るだろう。まだやり直せる(私から見たらもう完全に終わっているのだけれど)と言ってくれる人もじきにいなくなる。

 

とはいっても最後の一歩踏み出すことは容易ではない。1度失敗していることからも体感している。

 

死の間際で「生きたい」と、普段隠れている生存に対する欲求がドバドバと出てくる。

 

これを克服するのが目下の目標で、チャンスがあればこれからもやっていこうと思う。

 

やっていきましょう。